わたしの声があなたに届いたなら

 暖かい陽射しがわたしの身体に触れた。

 

 わたしは陽が当たっている部分の穴をすこし開いた。そこからゆっくり空気を吸い込み、作り出したばかりの新しい空気を吐き出した。身体のなかがすっと涼しくなった。

 

“かよちゃんは、まだ起きなくていいのかしら”

 

 太陽の光が、わたしの身体をすっぽりと覆ってしまった頃、かよちゃんがようやく目を覚ました。

 

「えっ、十時?もう間に合わないよ‥」

 

 彼女は慌てて洋服を脱ぎ、シワのない白い服に着替え始めた。

 

“これだからわたし、大丈夫かなって思ったのよ”

 

「アリスごめん。あたしすぐ行かなきゃだから、水あげられないの。お母さんに頼んでおくからね」

 彼女はがたがた音を立てて、急ぎ足で部屋をあとにした。

 

“いつもの事でしょう。行ってらっしゃい”

 

 わたしはこの場所が好きだった。

 ここは窓が大きくて、陽をいっぱい浴びることができた。それに、かよちゃんのお話しを聞くこともできた。

 

 この部屋に来るとき、自然のなかで暮らす仲間たちを見かけたけれど、彼女たちはあまり会話をしないみたいだった。人間のちかくで育ったほうが、お話し好きになるのかも知れない。

 

「また葉っぱが枯れちゃってる。寒くなってきたし、そろそろかなあ」

 かよちゃんのお母さんは、わたしに水をくれたあと、枯れた葉っぱと花をいくつか取っていった。

 

 

 近頃は根が弱ってきたみたいで、身体に必要なものをお腹いっぱい頂くことができなくなってきた。わたしの身体は、寒い季節に耐えられないのかもしれない。

 

 この部屋は好き。けれど、自分がこのまま枯れゆく事を想うと心が落ち着かなかった。わたしには自然から与えられた、大切な使命があった。

 

 もしわたしに歩くことができたなら、長い脚を踏みしめて部屋を抜け出し、土のある場所で一生を終えることができるのに。

 

 

                 ***

 

 

 かよちゃんは、お友達にわたしを紹介することが好きだった。

 

「見て、綺麗でしょ。アリスって名前にしたの」

「ほんとだ。白いお花が綺麗。」

 

 わたしはそのとき、人間の大切な言葉を教えてもらった。

「アリス」という名前。

「お花」という単語。

「綺麗」という言葉。

 

“ここで枯れてしまってもいいと思ったのに”

 

 

                 ***

 

 

 すっかり太陽が沈んでしまってから、かよちゃんとお母さんが部屋にやってきた。

 

「ほら、アリスちゃん、もう枯れてきてるでしょ」お母さんが言った。

「ほんとだ」

 

 かよちゃんはわたしの花びらを撫でてくれたけれど、その顔は何だか苦しそうだった。

 

“どこか身体が悪いのかしら”

 

「あたしがお水あげるの、さぼったから…」

「私があげてました」お母さんはそう言って、目を細めた。

 

“はい、お母さんから頂いていました”

 

 わたしもお母さんに同調した。

 

 

 かよちゃんは、わたしの葉や茎を優しく触った。

 

「アリスはもう、おばあちゃんなんだね」

 

 彼女が真剣な顔で言うので、わたしは何だか可笑しくなった。

 

 お母さんはいちど部屋を出てから、小さなお皿を持ってもどってきた。

 

「ここに種を入れておいたから。かよも枯れた花びらをここに集めておきなさい。来年の春に植えればまた芽が出るから」

「花びらが種?」

「花びらの下のところに種がついてるでしょ」

 ふたりは小さなお皿に顔をよせ合った。

「アリス、来年になったら種を植えてあげるからね」

 

 

                 ***

 

 

 冬の厳しい寒さが体に堪える。

 わたしの花はもうすべて枯れ落ちてしまったようで、周りの景色が何も見えなくなっていた。

 

 真っ暗闇のなかで、わたしはじっと“その時”を待っていた。僅かな日差しの温かみが、かろうじて太陽の時間であることをわたしに伝えてくれた。

 

 身体に力が入らないから、もう葉っぱを太陽の方へ持ちあげることも、呼吸をする穴をひらくこともできなかった。

 

 自然のなかで暮らす仲間たちが、どんなふうに終わりを迎えるものなのか、わたしは知らない。けれどわたしは、生まれてからずっと感じてきた大切な使命を、かよちゃんに託すことにした。

 

 わたしの種が太陽の光の下で、新鮮な土壌から命を芽吹かせるところを想像した。それは素敵な光景だった。

 

「アリス、見える?」

 すぐ傍で、かよちゃんの声がした。

 

「あなたの種を集めたの。来年きっと、また会おうね」

 

 わたしはできることなら、かよちゃんの方へ葉っぱを持ち上げたかった。

 

“あなたなら、この感情をなんと表現するの?わたし、少しでも葉っぱをあなたに近づけたい。もしわたしに手があったのなら、わたし、その手であなたの頬に触れたい”

 

 

 人間が持つあらゆる感謝の言葉を、わたしに知ることができたのなら。

 

 

「綺麗よ。アリス。いままでありがとうね」

 

 

 意識が徐々に朦朧としてきた。

 

 幾本ものなま暖かい蔦が、穏やかにわたしに絡みつき、したへ、したへと、導いていくような感覚がした。

 

 

“ありがとう”

 

 

 わたしは、自分がひと掬いの土になった未来を感じた。

 

 土は石や動物に固められ、風に撫でられ、たっぷりと雨をいただき、新しい命を受け入れる。

 

 

 わたしは大切な言葉を教えてもらった。

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